今や世界のあちこちで行われている自毛植毛。これは日本も例外ではなく、近年では薄毛治療として自毛植毛を選択する方が大幅に増えているような印象を受けます。
特に今現在のコロナ禍という特殊な事情では自毛植毛を検討する方がより増えていると実感するクリニックが多いようです。これはコロナ禍でリモートワークが定着し、毎日出勤する必要がなくなった会社が多くなったことと関係しているような気もします。いずれにしても自毛植毛には今現在、これまでよりもスポットライトが当たっている状態といえると思われます。
そんな中で自毛植毛のことを正確に分かっている人はまだまだ少ないと思います。今回は自毛植毛のトピックの中でも、基礎的な自毛植毛の歴史について改めて説明します。
自毛植毛の歴史は古い
自毛植毛は高度な技術を要する外科手術というイメージから、最近出来て間もない技術だと思われている方も少なくないと思います。だが意外にもその歴史は古く、海外で最初に考案されたのは1800年代と言われています。実際のところ脱毛の治療に皮膚移植が提案され、医療行為として発展を遂げてきたというわけです。
日本での自毛植毛の始まりですが、1930年代~1940年代に複数の日本人の医師が自毛植毛の研究を報告していることが分かっています。火傷の脱毛部分に皮膚移植による自毛植毛治療を行うという理論の発表です。代表的な研究者としては、奥田庄二 医師、笹川正男 医師、田村一 医師3名が知られています。時代は戦時中。時代もあり研究が波及的に広まることはなったようです。1939年に画期的なパンチグラフト法を考案した奥田医師は戦争中に命を落としてしまいました。
自毛植毛の広まり
日本人医師らの研究を基に、自毛植毛治療はなんとアメリカへ広まりました。1970年代、ノーマン・オレントライヒ博士の「奥田・オレントライヒ法」が新たな自毛植毛治療として普及。それから1993年にアメリカで国際毛髪外科学会が開かれたことが分かっています。ここからさらに自毛植毛は世界的に広まったようです。
FUTストリップ法(FUSS法)の登場
ここからは自毛植毛を調べたことがある人であればなじみ深いワード群が登場します。
1995年頃に発表され今でも世界で行われている、FUTストリップ法(FUSS法)は、頭皮を10~20cmと帯状に切除し、そこから毛包単位で毛を分けて薄毛部分に移植する、メスを使う自毛植毛方法です。生着率も高く、当時は画期的と言われていました。しかしメスで頭皮を切除するため、痛みや違和感が強かったと報告されています。帯状に切り取った頭皮をそのまま縫合するため傷が残ってしまうというデメリットがあります。
FUE法が主流に
親和クリニックでも取り入れているFUE法と呼ばれるメスを使わない自毛植毛手術が主流になります。
FUE法はドナー採取の際に小さなパンチを使いグラフトを1つ1つくり抜く方法なのです。FUSS法と比べて大きく皮膚を切り取ることはありませんし、メスも使いません。傷痕が目立たず、そのため治りが早いという特徴があります。しかし、高度な技術を必要とするので、医師の技術力の違いにより生着率に差が出ます。
より高密度で生着率の高い移植を行う親和クリニックの植毛施術「MIRAI法」はFUEの進化系と言えます。
植毛ロボットの開発
まだ多くのクリニックに支持されているとは言い難いですが、ロボットが植毛を行う時代が幕を開けました。代表的なものにARTAS植毛があります。これは植毛ロボットによる植毛方法で、ロボットがドナーをくりぬく新しい機械です。医師によっては、ロボットの技術や信頼度に意見が様々あり現在ARTAS植毛を行っているクリニックはごく少数となります。まだまだ技術革新の途上といえます。